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日本の伝統文化と教育 〜建国記念の日をどう教えるか
米日教育交流協議会 代表 丹羽筆人
日本の祝日や年中行事は天皇家と深い関わりがある 小中学生の歴史の授業では、1889年2月11日に大日本帝国憲法が発布されたことを学習します。私はいつも2月11日は何の日かという質問をするのですが、知らないという子供たちが目立ちます。祝日だと話すと、ミッドウインターの休みの話題に転換してしまうこともしばしばです。他の祝日を取り上げる中、ようやく「建国記念の日」という正解を導き出すことができます。アメリカに暮らしているので仕方がないですが、この祝日について教えるのは難しいことです。 2月11日は敗戦までは「紀元節」という祝日でした。古事記や日本書紀に初代の神武天皇が即位したと記されている日を明治時代に日本の建国日と定めたのです。「紀元節」は廃止されましたが、1967年に「建国記念の日」として復活しました。古事記や日本書紀は神話であり神武天皇も実在したとは言い難いので、「紀元節」も「建国記念の日」もあまり意味がないとも考えられます。しかし、日本は市民革命や他国の支配からの独立を経験していませんので、アメリカや諸外国のような独立記念日に相当する日を定めることはできません。敗戦をきっかけに民主化しましたが天皇は存続しました。廃止された「紀元節」を「建国記念の日」として復活させたのは日本国民の世論であったことも含め、2千6百年余にわたる天皇家の歴史を日本の歴史として守っていきたいという思いが多数を占めているのだと解釈できます。 天皇家の存在には賛否両論がありますが、私は子供たちに歴史の授業をしながら、天皇家は日本人に守られてきた存在であるということをつくづく感じます。小中学校の教科書で権力者として政治を行なった記述が見られるのは天智天皇、天武天皇、聖武天皇、桓武天皇など数名です。その後、藤原氏に政治の中心が移ってからは、それに院政で対抗した白河上皇、その後政権を握った鎌倉幕府を倒そうとして失敗する後鳥羽上皇、鎌倉幕府を倒したが足利尊氏に追放される後醍醐天皇というように政治の実権を握る者と対立した存在として登場するのみです。天皇は江戸幕府が滅亡し明治天皇が登場するまで政治の舞台には立ちません。その明治以降の天皇も藩閥政府や軍部の下では陰の薄い存在でした。つまり、天皇は決して日本の国を動かした存在ではないのです。しかし、時の権力者は代わっても天皇家は守られてきました。敗戦後に憲法が変わっても天皇は存続しました。それは天皇が日本人にとって特別な存在であることを示しています。古代より神に米を始めとする農作物の豊作を祈ることは天皇の重要な仕事でした。この世にあるものすべてに神が宿ると信じる日本人にとって、自然は神であり、国土そのものが神であると言えます。絶大なる権力を持った支配者にもできない神に祈りを捧げることのできる天皇を、尊い存在として日本人が守り続けてきたことは理解できるでしょう。 このように考えれば、その存在が史実ではないとしても初代神武天皇が即位した日を日本の建国日とすることも納得できるのではないかと思います。さらに、天皇が神に祈りを捧げる儀式である四方節、春季皇霊祭、秋季皇霊祭、新嘗祭(にいなめさい)という祝日が、現在はそれぞれ元旦、春分の日、秋分の日、勤労感謝の日となっていること、先週紹介した節分も宮中の行事であったことなどで、日本の年中行事が天皇家と関連していることも注目すべき点です。
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~Weekly Business News 2007年2月9日号掲載
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