日本の教育事情
〜小学校英語必修化の動きから

 

米日教育交流協議会

代表 丹羽筆人

 

語学教育には文化や地歴の同時教育が必要 

 私が代表を務める米日教育交流協議会が実施する日本の山村での日本語学習プログラム「サマーキャンプ ・イン・ぎふ」が始まりました。その報告は別の機会にさせていただきますが、今回は日本に帰国後、早速目にしたニュースについて考えたことを報告します。

 文部科学省において、小学校高学年に英語を必修としようという動きが出ていることはご存知ですか?私が思っていた以上にこの情報はマスコミが歓迎ムードで取り上げていました。文部科学省の方針では国語・算数・理科・社会のような必修教科の枠ではなく、総合的学習や道徳のような領域として扱うようですが、年間の履修時間は必修科目にも匹敵する時間数を充当する計画のようです。その一方で、誰が教えるかというところが問題にもなっています。必修教科とほぼ同様に扱うのであれば、学級担任が指導することになりますが、現職の小学校教員にとって英語は指導領域の範囲外であり教えることに対する抵抗感があるようです。文部科学省は中学校でも行っているティームティーチングを推奨していますが、英語の専門教師を雇用したり、英語教育には欠くことのできないネイティブスピーカーである外国人教師も雇用することに対しては財政担当である地方自治体において頭の痛い問題となっています。

 さらに、既に始動している中学校の英語教育現場に目を向けると、外国人教師の指導や英会話的な内容を重視した教科書での指導に本当に効果的が現れているのかという点が疑問視されています。今回の小学校での英語教育必修化が、そのような教育の延長線上として扱われているのであれば、日本の英語教育の向上は望めないと思います。

 言語の根本はコミュニケーションにあります。生活していく上で何かを正確かつ詳細に伝達していくために、人類に言葉が生まれたのです。しかし、言葉はそれを表すものが具体的にイメージできない相手に理解させることは至難の技です。例えば、竹を知らない人に「たけ」と発音することを教えることはできますが、知らなければそれは大変なことになります。全世界に存在するすべての言葉はそれらを使っている人々の文化に根ざしています。つまり、その言葉を使っている人々に文化を理解せずに習得することは不可能なのです。

 小学校での英語必修化は悪いことでは決してありませんが、日本に生活して日本の文化の中にいる子供たちに一体どれ程効果的な英語教育が実現できるかという点においてはあまり大きな期待はできないのではないでしょうか?

 アメリカに生活する子供たちも、日本語の発音、漢字の読み書きという点においてもう一歩向上できない理由の一つとして、日本の文化、地理や歴史が分かっていないということがあります。その理解は得意言語である英語でもいいのです。しっかりそれを理解したうえで日本語を学習すれば、その効果は見違えるようなものになるはずです。ただし、「百聞は一見に如かず。」です。私が日本文化の体験学習プログラムを企画し運営している理由がそこにあります。

            〜Weekly Business News 2006年7月14日号掲載

 

                             トップページ